夏・第八夜「初恋の男」
見知らぬ番号からスマホに着信があったのは、月曜の昼休みだった。
― 090から始まるってことは携帯…あ、もしかして!
私はピンときた。昨日の夜、小学校のZoom同窓会の学年代表幹事に決まって、メッセージグループ内で私の携帯番号を載せた。
タイミングからして、きっとあれを見て誰かがかけてきたのだろう。SNSでつながっているけど、携帯番号は登録していない人がほとんどだ。
「はいもしもし、海江田美波です」
幹事を意識して、なるべくはっきりと明るく名乗った。
「海江田美波ちゃん…?あの、こんにちは…久しぶりだね、僕、ショウだよ」
「ショウ…?えと…」
正田、昇平、将司…ショウと名乗りそうな名前が頭をかけめぐる。
「あの、三田小の同窓会のことかな?ごめんなさい、久しぶりすぎて声がわからなくて…」
その時、唐突に、すぐ近くに住んでいていた幼馴染の顔が思い浮かんだ。翔太。山本翔太。
「ショウって、もしかして…5年生のときに転校しちゃった、山本翔太…くん!?」
「…わかってくれたんだね。美波ちゃんなら思い出してくれると思った」
電話の向こうで、ホッとしている彼の空気が伝わってくる。
その時、休憩終了を告げる13時のアラームがアップルウォッチからピピッとなった。
「あ!大変、ごめんなさい私仕事に戻らないと。えーと、どうしよ。もしよかったらFacebookで探してくれる?同窓会関連のこと、そこに掲載してるんだ、つながったらメッセンジャーできるから連絡とりあおう」
「うん、了解、すぐ探してみる。俺、Facebook完全放置なんだけど…久々にログインしてみるわ。じゃあ美波ちゃん、また。俺の番号、登録しておいてくれる?」
私は、少しだけドキドキしながら電話を切ると、緩んだ頬を抑えて仕事に戻った。
思わぬ再会に浮かれる美波。そして事態は予想外の方向に…?
早速、翔太からFacebookで友達申請がきて、私たちはやり取りをするようになった。
『美波ちゃん、昨日はありがとう!思い出してくれて嬉しかったよ。承認してもらってから告知してる同窓会の詳細も見たよ。幹事なんだね』
『メッセージありがとう。それにしてもびっくりした。11歳以来だから…16年ぶり!?どうやって同窓会のこと知ったの?男子たちと連絡とってるの?』
『うん、ほら、もう一人幹事してる太一とはおふくろ同士がまだつながっててさ。そっち経由で小学校の話になったらしくて、同窓会のことと幹事の美波ちゃんの連絡先教えてもらったんだ。それより美波ちゃん、インスタもみたよ、すっかりキレイになっててびっくりした』
メッセージをやり取りしていて、私はこそばゆい気持ちになる。
翔太は、何を隠そう私の初恋の人なのだ。
彼は、すごく目立つ、というタイプじゃなかったけれど、背がひょろりと高くとびきり優しくて、二人とも本が好きで。本の話をしながら登下校でするのが密かな楽しみだった。
昔から単純な私は、そんなことで好きになっちゃうものなのだ。
でも急に翔太が転校することが決まり、もちろんマンガみたいに告白なんてできないまま、疎遠になってしまった。
『翔太くん、今どこに住んでるの?同窓会は参加できる?』
昨日、友達リクエストをもらってすぐに承認し、翔太のページに行ってみたが、本当に放置しているらしく、アイコンも海の写真で、投稿はなく顔を見ることはできなかった。
プロフィールからわかったのは、早稲田大学政治経済学部卒、金融機関勤めということと、サーフィンが趣味ということだった。そこはぬかりなくチェックしたので間違いない。
『7月23日だよね?悪い、その日は外せない先約があって。でも終わり次第ログインするよ!最近まで仕事で海外にいたんだけど、戻ってきてからは、目黒に住んでるんだ』
『え!一緒!私も。どこらへん?私は大鳥神社のあたりだよ』
『インスタで、昨日美波ちゃんが投稿してた焼き鳥屋さんの近く。俺もあの店まで10分くらい』
『ほんとに?すごい偶然…!』
私は部屋で思わずにやにやしながら独り言を言ってしまった。ツイてる。これは波がキテる。
丸の内でOLになり4年目の昨年。さあこれから婚活!と気合いを入れたところで、一気に在宅ワークが進み、週に1・2回出社すればいいほう、お食事会もなくなった。
出会いを求めて動いてみても、なかなか前のようにはいかない。こんなことなら元カレと別れなければよかったな…とウツウツとしていた私にとって、久しぶりに浮き立つ出来事だった。
『じゃあ、せっかくだし会社帰りにさくっとごはんでもどう?』
『いいね!近所にいい店見つけたんだ、予約しとく。でも俺、けっこう変わっちゃったからな、美波ちゃんわからないかも。幻滅されそう。笑』
『しないしない。私のほうこそだよ…なんか緊張しちゃうなあ』
― もしかしていい雰囲気になっちゃったりして…?
私は思いがけない展開が嬉しくて、また一人でテンションが上がり、無駄に気合をいれてエクササイズした。
ついに再会の夜。そこには16年ぶりに会う、初恋の男がいた。そして事態は予想外の展開に…?
― あ、もしかして、あれが翔太くん…!?
金曜日、定時に仕事を上げて、目黒のバルに地図を頼りにたどりついてドアを開けた瞬間、カウンターに座っている男性と視線がぶつかった。
スーツ姿がさわやかだ。少し茶色い髪、ツーブロックのヘアスタイルがこなれている。私を見ると、照れたように笑いかけてきた。翔太に違いない。
「久しぶり…!美波?実物もめっちゃ可愛い。大きくなったなあ、ってヘンだよな」
「うん、本当に久しぶり…翔太、元気にしてた?」
私たちはお互い小学校時代の呼び方になり、でもしきりに照れながら、挨拶を交わした。小さい頃は飽きるほど毎日一緒だったけれど、男の人になった翔太とは初対面。
距離感がわからなくて、えへへ、と照れ隠しに笑ってみる。
もじもじしている雰囲気を打ち破ったのは、意外な人物だった。少し離れた席に座っていたスーツ姿の男性が、翔太に気がついて話しかけてきたのだ。
「あれ!?翔太、会社帰り?おまえんちこの近くだもんな。あ、どうも、翔太の友達の浩平です。ってごめん、デートに割りこんじゃまずいよな」
「お!浩平か、お前も会社の帰り?いや、あの、デートっていうか、こちら美波さん、俺の幼馴染なんだ」
「ああ!この前言ってた、小学校時代の初恋の子とSNSで再会できたってやつか。どうも、浩平です。翔太の同僚で」
私はその友達の一言に内心大いに動揺して「はじめまして、美波です」と平静を装うのに必死だった。
― 初恋。初恋って言った。もしかして、翔太も私のこと…?
たぶん、私は赤くなっていたと思う。
生返事をしているうちに、浩平は私たちに交じって話し始めていた。翔太と二人きりだと、久しぶりすぎてなにを話したらいいのかわからなかったので、ちょっぴりほっとした。
それに、急に二人きりになるよりも、翔太の今をよく知る人から話を聞くほうが、大人になった彼をより深く理解できるような気がした。
私は次第に緊張も忘れ、おしゃべりに夢中になっていた。
◆
「あ〜まだ20時、ぜんぜんしゃべり足りないよ。おまけにこのゲリラ豪雨…参ったな。タクシーも捕まらない」
お店を出ると、大粒の雨がザーザーと降っていた。雨宿りをしたかったけれど、もうどこのお店も閉まっている。
「まいったなあ。ほんの1時間くらいでいいから、どこか寄れるとこないかな」
「…えと、じゃあ二人ともうちで雨宿りする?実は、私のマンションすぐそこなの。翔太の家だとここから15分くらいかかっちゃうでしょ?1階の共用スペースにソファもあるから、雨宿りしていって」
再会の時間が、あまりにも楽しかったからかもしれない。私は思わず店の軒先でスーツをみるみる濡らす二人にそう提案していた。
「え、ほんとに!?助かるよ美波!」
そこから100mほどの我が家まで、3人でダッシュした。駆け込んだけれど、スーツもワンピースもずぶ濡れだ。
「へえ…これが美波のマンションか」
翔太が観察するようにエントランスを見回した。
「タオルとコーヒー持ってくるから、そこにいてね。何かあったら306押して」
私はそう声をかけると、急いで3階に上がって部屋に飛び込んだ。
びしょびしょのワンピースを脱いで、さっとカジュアルなシャツワンピを着ると、どこかにメンズサイズのTシャツでもなかったかとクローゼットを探す。
その時、夕方から放っておいたスマホに通知があることに気づき、熱いコーヒーを淹れるためお湯を沸かしながらタップする。
するとそれは、小学校の同級生、太一からのメッセージだった。
『美波、幹事ありがとう!ところで、この前言ってた翔太、参加できないんだよな?』
『うん、でももしかしたら途中から参加できるかもって。あれ?太一、翔太と直でつながってるよね?同窓会のこと、太一ママが翔太に教えてくれたって』
急いで文字を入力しながら、マグカップを3つ棚から出した。
『え?翔太と?いや、俺つながってないよ、おふくろなんてもっと知らないだろ笑』
私は、思わずコーヒーを淹れる手をとめた。
― 翔太は同窓会のことは、太一から聞いたって、言ったよね…?
後でかけ直すと言って、電話を切り、Facebookの翔太のページを開く。改めてみると、共通の友達は一人もいない。
それによく見ると、彼がFacebookを始めたのは…先週だ。このアカウントは、あの電話があったあとに、作られたものなのだ。
その時、手にしていたスマホが鳴動し思わずびくっとなる。翔太からだ。
「美波?大丈夫?運ぶの大変だったら俺たちがそっちにいくよ」
「ううん…大丈夫!一人で大丈夫」
スマホを切る。雨でぬれたせいだろうか、指先が冷たい。
静かな水面に、ぽたりと絵具が落ちたように、疑念がじんわりと広がっていく。
― あの男の人は一体だれなの?同級生の翔太じゃないってことよね…?
私はこれまでの経緯を一つひとつ、頭のなかで再生していく。
最初から、少しずつ何かがひっかかる。
同窓会の幹事だと勇んで、最初に名乗ってしまったのは私。そして彼を翔太と最初に呼んだのも…私。
『ピンポーン』
その音にビクっとなり、手にしていたマグカップを取り落とした。男の気配は、すでにドアの外にある。
翔太じゃないとしたら、あの二人は誰?…そして私はすべてを知られてしまった。
「美波、遅いから来たよ。早くここを開けて」
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