※本稿は、笠原一郎『ディズニーキャストざわざわ日記』(三五館シンシャ)の一部を再編集したものです。
カストーディアルキャスト(※1)は「歩くコンシェルジュ」として、どんなに悪天候の日でもオンステージをひたすら歩きまわって清掃業務やゲストの案内にいそしむ。雪が降ろうが嵐が来ようが、仕事からは逃げられない。
カストーディアルキャストの仕事は、オンステージを清掃する業務とレストルーム(トイレ)を清掃する業務の2種類に分けられる。春や秋の時期、晴れて気持ちの良い日はオンステージ担当がいい。
反対に猛暑や極寒、そして雨や雪の日、レストルーム担当は「勝ち組」と呼ばれてみんなからうらやましがられる。真夏の炎天下、オンステージはキビシイ。地面からの照り返しが強烈である。そのため、実際の気温よりも体感で5℃は高く感じられる。
暑い日にはポップコーンが売れないかわりにアイスクリームやアイスキャンディが飛ぶように売れる。これがカストーディアルキャスト泣かせなのである。溶けたアイスが地面に垂れてシミになる。放置はできないので、モップを持ってきて拭く。そうしているあいだにも、また別のところでアイスが垂れてシミができる。
さらに自販機前では、噴き出したコーラで地面を汚しているゲストがいる。ここにもモップを持って駆けつける。私は汗っかきなので、真夏は掃除中、汗が噴き出してきて粒になってメガネを濡らす。シャツを濡らす。ひどいときにはズボンまで濡れる。
いつゲストに話しかけられるかわからないため、身なりは整えておかなければならず、大量の汗は随時、ペーパータオルで拭いていた。ところが、ある日の朝礼でSV(※2)から「ペーパータオルは業務用の使用に限り、汗拭きに使わないように」という禁止令が出た。しかし、ハンカチではすぐにびしょ濡れになり、役に立たなくなる。タオルを首からかけて作業をするわけにもいかない。
やはり夏の日のカストーディアル業務にはペーパータオルが必須なのだ。SVのケチな禁止令を無視して私は大量の汗をペーパータオルで拭(ぬぐ)い続ける。
(※1)おもにパークの清掃業務を担当するキャスト。キャストの数ある職種の中でも上位の人気を誇る。(※2)スーパーバイザーの略。現場ごとに配置され、キャストをまとめて指導・監督するプレイングマネージャー。カストーディアル部門ではロケーションごとに数名配置されている。
冬は冬でキビシイ。真冬だと数時間立ちっぱなしでいるため、寒さが身に染みてくる。寒い日はマフラー、手袋(軍手)、厚手のコートなどを着用してもいいのだが、コートは厚くて動きづらいので着ているキャストは少数である。
冬の悩みのタネに雪がある。安全最優先の行動規準のもと、パークは雪の後始末を徹底していた。園内に積もった雪は、カストーディアルキャストのみならずアトラクションキャストなどキャストを総動員して、人力でバックステージに運ぶ。
ある大雪の朝、当日勤務のキャスト全員に早出が命じられた。オープンまでに積もった雪を「蒸気船マークトウェイン号」の乗り場近くのアメリカ河に捨てろという指示だった。私は、こんな日に出勤することになった自分の不運を呪った。老若男女問わず、キャスト総動員での作業が始まった。
私はスコップで雪をかき、大きな容器に入れる作業の担当になった。数分も作業すると、汗が出てきて、上着もいらないほどになる。小1時間ほど作業したところで、急にストップがかかった。アメリカ河に捨てられる雪が多すぎて、蒸気船の運航に支障が出る可能性があるという。
若者たちに交じっての作業ですでにヘトヘトになっていた私はようやく解放されたかとほっとしたのも束の間、続いての指示があった。
「アメリカ河ではなく、バックステージに運び込んでください」
これにはキャストからいっせいに落胆の声があがった。アメリカ河は目の前だが、バックステージまでは距離がある。余計に重労働になったというわけだ。また、オンステージで凍りついて滑りやすくなったところにはビニール袋にお湯を入れた「湯玉」を当てて原始的かつ根気よく溶かす。
ゲストにとって、雪景色のパークは絶景であり、今ではSNSにあげる格好のネタになっているようだが、これらの作業はたいへんな重労働であり、われわれキャストにとっては恨みの雪なのである。
雨もまたキビシイ。オンステージ担当は傘を使えず(レストルーム担当は移動するとき、傘の使用が認められている)、レインギア(雨具)を着用しなければならない。着ているとすぐに蒸れてくる。雨が強いとレインギアのあいだから水が浸透してきて衣服を濡らす。これに汗が混じると不快感は最高潮に達する。
さらに仕舞うときにはタオルで水をすべて拭きとってから畳まねばならず、手間がかかる。降ったりやんだりのときが一番厄介で、やんだと思って水を拭きとり仕舞おうとするとまた降ってくる。
カストーディアルキャストの仕事のひとつに「残水処理」がある。
雨がやんだあと、ベンチなどゲストが座る場所の雨水をタオルなどで拭きとる。たくさんあるベンチや柵などをひとつずつ丁寧に拭きとっていく作業だ。半分ほど終えたところで、再び雨が降り出す。苦労が水の泡だ。雨がやんだあともレインギアを着ていると、約8年間にわたってディズニーランドで清掃スタッフを務めた笠原一郎さんはSVから早く脱ぐようにと注意される。降ったりやんだりが繰り返されるとそれだけでヘトヘトになっている。
スイーパー担当は、多い日だと1日で3万歩ほど歩く。これくらい歩くと、慣れないうちは膝が笑う状態になる。仕事が終わり、疲れ果てて舞浜駅に向かって歩いているとき、つい口ずさむのは岡林信康の「山さん谷やブルース」だった。「今日の仕事はつらかった。あとは焼酎をあおるだけ♪」“夢の国“を支えるのは、まごうことなき「肉体労働者」たちなのである。
晴れてキャストデビューを果たして2日目のことだった。オンステージでスイーピング(※3)をしていると、女子高校生とおぼしき2人組のゲストが私に近寄ってきた。「何をしているんですか?」「?」
掃除をしていることは見たらわかるだろうと思ったが、質問の意図がわからないまま、とりあえずこう答えた。
「ゴミを集めているんですよ。ポップコーンなんかがあちこちに落ちていますからね」
それを聞いた彼女たちは怪訝(けげん)そうに顔を見合わせると、そのまま無言で立ち去っていった。それからしばらくして、今度は小学生の女の子を連れたお母さんから尋ねられた。
「何を集めているんですか?」「ええ、ポップコーンなどが落ちていますから……」「……あぁ、そうなんですか。すみません」
なぜだか今度は親子でがっかりされてしまったようだった。さすがにこれは変だと思い、休憩時間に同僚キャストの谷口さんに尋ねてみた。
「今日、スイーピング中にゲストから何度か『何をしているんですか?』と聞かれたのですが、あれはなんでしょうか?」
勤続10年のベテランキャストだった谷口さんは笑いながら答えてくれた。
「その質問、よくゲストから聞かれることがあるんですよ。一番オーソドックスな返答としては『夢のカケラを集めています!』ですかね。で、笠原さんはなんて答えたんですか?」「……」
キャストへのこのような質問は観光バスのバスガイドが始めて、それがいつの間にか広まったとの説があるようだが、真偽のほどは定かではない。その翌日、早くも私にリベンジのチャンスが訪れた。今度は中学生と思われる3人組の女の子グループだった。ひとりがおずおずと近づいてくると、「あの、すみません。今、何をしているんですか?」「ええ、夢のカケラを集めています」
彼女の表情がパッと明るくなったかと思うと、「ありがとうございます」と頭を下げて去っていった。私も彼女たちの思い出作りに協力できたかと思うと、嬉しくなった。
(※3)ダストパン(チリトリ)とトイブルーム(ホウキ)を使って行なう掃き掃除。
修学旅行の時期や、春休み・夏休みで地方から来園するゲストが多い時期などは1日に何回もこの質問を受けることがある。
先述の中学生グループのようなリアクションが一般的だが、なかには「キャアアァァ!」という悲鳴をあげて喜びを表現する人がいたり、「すごーい!」と拍手をしながら欣喜雀躍(きんきじゃくやく)する人がいたりする。過剰に周囲の注目を集めることになり、たいへん恥ずかしい。
リアクションが激しいのは若い女性グループの場合が多く、それらしきゲストが近づいてきたとき、質問されるのを回避するために進行方向を変えてやりすごしたことが少なからずあった。とはいえ、ゲストの反応が薄いと寂しい。「そうですか」とだけ言って立ち去られたりすると、忙しいときにわざわざなんで聞いてきたんだよ、などと思ってしまう。
なかには、オーソドックスな返答をすると、「なんだ、またその答えか」とか、「集めてどうするんですか?」などとツッコミを入れてくるゲストもたまにいる。
同僚のキャストにはオリジナルな返答を得意とする人もいた。
谷口さんは「ピーターパン空の旅」の前で聞かれたときには「ピーターパンが振りまいた落ち葉を集めています」というように場所や時期などによって臨機応変に回答を変えるのだという。
このようにキャストによって答えが変わったりすることも広く知られるようになったため、手あたり次第カストーディアルキャストに聞きまくるゲストもいる。私はといえば、谷口さんのような返答はやはり恥ずかしく、もっともオーソドックスなものに少しだけアレンジを加えて、「幸せのカケラを集めています」をもっぱら使っていた。
ゲストからの受けはまずまずだったように思う。あるとき、「イッツ・ア・スモールワールド」の前でスイーピングしていると、ワイワイ言いながら数名の女子高校生が近寄ってきた。いつもの質問が来るなと「幸せのカケラ」を準備していたら、そのうちのひとりから突然、「愛ってなんですか?」と聞かれた。一瞬焦ったが、とっさに「愛とは決して後悔しないこと」と答えた。
彼女は「深い!」とだけ言い残して去っていった。そもそも質問の意図はなんだったのか、いまだによくわからない。
----------笠原 一郎(かさはら・いちろう)元ディズニーキャスト1953年生まれ。山口県山口市出身。一橋大学卒業後、キリンビール入社。マーケティング部、福井支店長などを経て、57歳で早期退職。東京ディズニーランドに準社員として入社。65歳で定年するまで約8年間にわたりカストーディアルキャスト(清掃スタッフ)として勤務。----------
(元ディズニーキャスト 笠原 一郎)