1989年にネイチャー誌に掲載された、親の経済力と子どもの知能の関係を示した興味深い研究がある[1]。
38人の養子として育った子どもを次の4グループに分類し、16歳になった時点でIQを比較した。被験者に養子を選んだ理由は生まれと育ちの影響を分離して検証できるからだ。
�� 低い社会的・経済的ステータス(SES)の家庭に生まれ、低SES家庭の養子になった子(n=10:nはサンプル数)�� 低SES家庭に生まれ、高SES家庭の養子になった子(n=10)�� 高SES家庭に生まれ、低SES家庭の養子になった子(n=8)�� 高SES家庭に生まれ、高SES家庭の養子になった子(n=10)
その結果が図表1だ。
�す�SES家庭生まれ・高SES家庭育ちの子は、�…�SES家庭生まれ・低SES家庭育ちの子に比べてIQが平均して27高い。IQは標準偏差が15になるように調整されているから、この二つのグループ間では実に標準偏差の2倍もの差があったのである。
残酷な現実と言う他ない。俗に言う「親ガチャ」は実在するのだ。
この研究で注目すべきは��低SES家庭生まれ・高SES家庭育ちの子と�9�SES家庭生まれ・低SES家庭育ちの子の結果だ。
両者はあまり差がなく、その平均IQはちょうど�,鉢い涼羇屬�らいである。
この研究からも「IQは先天的要因と後天的要因がおよそ半々」という結論が得られる。しかし、これは必ずしも悲観的な結果ではないかもしれない。
なぜなら半分は育て方次第で変えられるからだ。
では、どうして高収入家庭で育った子はI Qが高くなる傾向があるのだろうか? やはり、お金をかけた幼児英才教育の効果だろうか?
これについても朗報がある。家庭環境とIQの相関の少なくとも一部は間接的要因によるものらしい。そしてその中間要因は全くお金がかからないものだった。つまり、裕福でない家庭でも、その中間要因を改善すれば子供の知能にポジティブな影響を与えられる。
では、その中間要因とはなんだろうか。それを解明した研究を、次に紹介しよう。
家庭環境と知能発達(とりわけ言語能力)の相関の原因を突き止めるため、カンザス州のBetty HartとTodd Risleyは非常に地道な研究を行った[2]。
彼らはまず、7カ月から9カ月の赤ちゃんがいる42の家庭に長期間に及ぶ研究への協力を取り付けた。そして赤ちゃんが3歳になるまでの2年半、毎月すべての家庭を訪れて親子の会話を1時間録音し、一言一句を文字に起こしていった。
サンプルには13の高SES家庭(大学教授など)、23の一般労働者家庭、および6の生活保護を受ける家庭が含まれていた。
社会的・経済的状況に関わらず、対象となったすべての家庭で子は愛されていた。実に1318時間にも及ぶ会話記録を統計的に分析した結果、予想外の事実が浮かび上がった。
高SES家庭と低SES家庭で最も顕著な差は、親が子に話しかける「量」だったのだ。
調査期間中、高SES家庭の親は1時間に平均して487語の発話をしたが、低SES家庭は平均して176語にとどまった。じつに3倍の差である。
その結果は如実に現れた。
子が3歳になった時点で、高SES家庭の子は平均して1時間に310語の発話をしたが、低SES家庭の子は約半分の168語に。語彙力を測ると、前者の子は1116語、後者はやはり約半分の525語であった。
さらに研究者は子どもが小学3年生になった時点で追加の調査を行った。
すると3歳の時点での語彙力と、小学3年生の時点での言語能力テストのスコアの間に明確な相関(r=0.57−0.72)が見られたのである。
なぜ裕福な親のほうが赤ちゃんに話しかける量が圧倒的に多いかについては、この研究は答えていない。もしかしたらコミュニケーションに長けた人ほど高収入を得やすい、などの社会的背景もあるのかもしれない。
だが事実として、赤ちゃんが聞く言葉の量は家庭によって1時間に300語もの差がある。このデータから外挿すると、3歳までに三千万語もの差が生じることになる。HartとRisleyはこれを“30 million word gap”(三千万語の差)と呼んだ。
赤ちゃんがまだ喋れない頃から浴びる数千万語の言葉のシャワー。これこそが子どもの長期的な知能の発達に非常に重要なファクターだったのである。
逆に幼児のうちから塾に行かせ読み書きや数え方を詰め込むような、いわゆる「英才教育」が長期間にわたって有益であるという確たる証拠はない[3]。
つまり高いお金を払う英才教育だけが意味のある幼児教育ではないのだ。子どもと向き合い、たくさん話しかける。これだけで子どもの将来にポジティブな影響を与えられる。誰にでもできるし、1円もかからない。
そうはいっても現代の親は忙しいから、四六時中赤ちゃんに話しかけることなんてできないだろう。
もし単純に「言葉のシャワー」が重要なら、子どもにテレビやYouTubeを見せておけばいい。あるいは、赤ちゃんの横でZoomミーティングをして会話を聞かせていればいいと思うだろう。
しかし残念ながら、子どもの脳はそう便利にはできていないようだ。
ある時期、聴覚障害者の親はテレビをつけっぱなしにすることが推奨されていた。しかしその後の研究で、それは子どもの言語能力の発達に寄与していないことが分かった[4]。
また別の研究では、教育番組の「セサミ・ストリート」を18カ月以下の赤ちゃんに見せたところ知能発達にネガティブであることが示唆された[5]。番組が有害なのではなく、親が赤ちゃんに話しかける機会が減ったというのが一つの解釈である。
一方で、話しかける人は親ではなくてもいいようだ。保母さんや保育士でも同様の効果がある。
大事なのは、赤ちゃんの耳に入る言葉の量ではなく、生身の人間が赤ちゃんに向けて話しかけられる言葉の量なのである。
僕も忙しい時はテレビやゲームに子守りを任せてしまうことがあるが、それでは親子の会話が減るのみだ。子どもと一緒に会話をしながらテレビを見たりゲームで遊んだりすればいいのかもしれない。
ちなみにテレビやゲームが子どもの発育にどう影響するかは、多くの親が気にするところだろう。これについてもさまざまな面にスポットライトを当てた数限りない研究があるが、結果はまちまちだ。
ポジティブな効果もネガティブな効果も多数報告されている。要は一概に益か害かと言えるものではなく「良い面もあれば悪い面もある」のだろう。
一方、ほぼあらゆる研究で知能発達にポジティブな効果が立証されている「教材」がある。それはゲームよりもはるかに安く、場所を選ばず、誰にでも手に入る。絵本である。
例えばこんな研究結果がある。41組の2歳児と母親に対し、読み聞かせを始めた年齢、読み聞かせの頻度、1週間あたり読む冊数、図書館を訪れる頻度などを調査し、子供の言語能力をRevised Reynell Development Language Scaleと呼ばれる指標で測定した。
その結果、読み聞かせを始めた年齢が子どもの言語能力ともっとも強く相関していることが分かった[6]。さらにその効果は小学校に行く年齢まで持続することも示唆された[7]。
読み聞かせの効果をさらに高める方法もある。子どもに質問をしながら読むのだ。Yes, noや指さしで答えられる質問ではなく、子どもが言葉を使って答えなければいけない問いが良い。
たとえば「この自動車は何色?」「ウサギさんはこれからどうすると思う?」といった質問だ。このように会話しながら読み聞かせを行うことをdialogic reading(対話的読み聞かせ)と呼ぶ。
Dialogic readingの効果を測るため、次のような実験が行われた。
21カ月から35カ月の子供がいる29組の親子を2つのグループに分け、1グループは母親が普段やってきた通りの絵本の読み聞かせを、もう1グループにはdialogic readingを、4週間にわたって実践してもらった。
すると、ITPAと呼ばれる指標で測定された言語能力年齢に8.5カ月分もの差が出たのである[8]。
もちろん、このような研究が子どもの知能発達の秘密をすべて解き明かしたわけではない。分からないことはまだたくさんあるし、科学的に立証されていない子育て法を使ってはいけないわけでもない。もちろんお金をかけた英才教育もやり方次第では有益だろう。
だが、確かな科学的根拠があり、誰にでもお金をかけずに実践できる教育法があるのだから、それを用いない手はないと思うのだ。
まずは子守り中にテレビをみたり携帯をいじったりする時間を減らし、子どもにたくさん話しかけることから始めてはどうだろうか。
そして寝る前にベッドで何冊かの絵本を一緒に読む習慣をつけてみよう。あなたのお子さんと一緒に心から楽しめる絵本に出会えたら、きっとそれは何ものにも替えがたい財産になる。
参考文献[1] Capron, Christiane, and Michel Duyme. "Assessment of effects of socio-economic status on IQ in a full cross-fostering study." Nature 340.6234 (1989): 552-554.[2] Hart, Betty, and Todd R. Risley. "The early catastrophe: The 30 million word gap by age 3." American educator 27.1 (2003): 4-9. (僕は読んでいないが、彼らはこの研究について本も出版しており、そちらの方が多く引用されている:Hart, Betty, and Todd R. Risley. Meaningful differences in the everyday experience of young American children. Paul H Brookes Publishing, 1995.)[3] Rescorla, Leslie, Marion C. Hyson, and Kathy Hirsh-Pasek. Academic instruction in early childhood. Jossey-Bass, 1991.[4] Pinker, Steven. The language instinct: The new science of language and mind. Vol. 7529. Penguin UK, 1995.[5] Mares, Marie-Louise, and Zhongdang Pan. "Effects of Sesame Street: A meta-analysis of children's learning in 15 countries." Journal of Applied Developmental Psychology 34.3 (2013): 140-151.[6] Debaryshe, Barbara D. "Joint picture-book reading correlates of early oral language skill." Journal of child language 20.2 (1993): 455-461. [7] Eliot, Lise. What's going on in there?: how the brain and mind develop in the first five years of life. Bantam, 2000. Chapter 14, pp390 本項で紹介した研究の多くはこの本を通して知った。教育本ではなく、胎児の頃からの脳と心の発達についての一般向け科学書である。子育てについては本書の14章から17章までが特に参考になる。英語が読める方は読んでみてほしい。[8] Whitehurst, Grover J., et al. "Accelerating language development through picture book reading." Developmental psychology 24.4 (1988): 552.
----------小野 雅裕(おの・まさひろ)NASAジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)技術者1982年大阪府生まれ。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程修了。2012年より慶應義塾大学理工学部助教。2013年より現職。火星ローバー・パーサヴィアランスの自動運転ソフトウエアの開発や地上管制に携わるほか、将来の宇宙探査機の自律化に向けたさまざまな研究を行っている。阪神ファン。好物はたくあん。著書に『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)、翻訳に『ロケットかがく for babies』(サンマーク出版)などがある。----------
(NASAジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)技術者 小野 雅裕)