イギリスの考古学者たちが、右足のかかとの骨に釘が刺さった人骨を発掘しました。この骨の人物はローマ人により磔刑にかけられたらしいのですが、磔刑のここまではっきりした証拠は非常に珍しいようです。
この骨が見つかった遺跡はロンドンの北90kmほど、フェンスタントンという小さな町の宅地開発の前段階で発見されました。Albion ArchaeologyのDavid Ingham氏が発掘作業を率いる一方、ケンブリッジ大学ウルフソンカレッジの骨学者・Corinne Duhig氏が発掘された人骨の分析を行ないました。
この遺跡は2017年にIngham氏のチームが発見したローマ時代の沿道型集落です(新型コロナの影響で、少し遅れての発表)。遺跡には5つの墓地が含まれ、かかとに釘が刺さった人物の骨だけでなく、大人40体、子ども5体の骨が発見されていて、時代は紀元後3世紀または4世紀と見られています。
人骨以外では、七宝焼のブローチや骨製のくし、たくさんのコイン、陶器、無数の屠殺された動物の骨が発掘されています。お宝の多さに加えて、商取引の証拠があることから、フェンスタントンの町はローマ時代にはよく整備された集落であり、旅人が立ち寄る場所だった可能性が高いと考えられます。
そんな中にこの、右かかとに太い鉄の釘を打ち込まれた人物がいました。これはイギリスにおいて、または北ヨーロッパにおいてという意味でも、ローマ式の磔刑が行なわれていたことを示す初めての証拠だと研究チームは言っています。この発見の概要はBritish Archaeology Magazineに掲載されましたが、今後さらなる詳細も公開予定とのこと。
「保存状態が良かったことと、釘が骨に刺さったままだったこと、この運の良い組み合わせのおかげでこのほとんど唯一の事例をよく観察することができました。他にも何千という事例が失われていることでしょう」Duhig氏はメールの中で説明しています。「この発見は、ローマ帝国の辺境の小さな集落であっても、ローマのもっとも野蛮な刑罰を逃れられなかったことを示しています。」
たしかに、ローマ時代の磔刑についての記録はたくさんあるのですが、物的証拠はきわめてまれです。Ingham氏はメールの中で、「磔刑に関する歴史上の言及や絵画表現は無数にあるものの、今回の発見は、誰かがどのように磔刑に処されたかを示す説得力ある物的証拠としてはほんの2例目なのです」と言います。
じゃあ1回目はというと、それは1968年、イスラエルのエルサレムにあるGiv‘at ha-Mivtarで、「右踵骨(かかとの骨)の、我々の例とまったく同じ位置に釘が刺さっていた」と今回の論文にあります。ほかに磔刑に処された可能性がある人骨は2例あり、ひとつはイタリア、もうひとつはエジプトで見つかったものですが、釘は刺さった状態でなく骨に穴が空いているだけでした。
ちなみにローマ時代の磔刑では釘を使わないこともよくあり、その場合はT字型の「Patibulum」と呼ばれる枠の真ん中の柱の側面に脚をくくりつけていました。磔刑は時間のかかる拷問・処刑方法で、最終的には紀元4世紀にコンスタンティヌス1世が禁止しました。鉄の釘が使われた場合は、その後再利用するために抜き取られることが多かったんですが、今回発見された例では釘が曲がって骨の中に固定されていたため、あえてそこに残したのかもしれません。
骨の分析結果を見ると、この人物は死亡する前にかなりの苦痛を受けていたようです。「脛骨幹と腓骨幹の新生骨は、全身性疾患、または拘束や足かせのような局所刺激による感染または炎症を示している」と論文にはあります。またこれらを総合すると、「この人物は苦痛や病気、またおそらくは刑罰によって動けなくなっており、病気または外傷の複合的な状態にあるようだ」ともしています。骨のDNA分析からは、この人物は男性であり、臼歯の傷み具合からして25〜35歳で死亡したものと推定されます。
Ingham氏いわく、3〜4世紀という磔刑のタイミングは「磔刑が広く行なわれなくなりつつある時期」だったという意味で重要です。この人物は「国家がとくに重大だと考える犯罪、おそらく地域住民の扇動を組織する活動支援に関わっていたのかもしれない」とも言います。とはいえ、処刑の正確な理由は推測するしかありません。この人物はもしかしたら「たまたまそのような犯罪にかかわった主人を持っただけの奴隷だったのかもしれない」とIngham氏は言います。
他の人骨の分析からは、この遺跡に埋まる他の人々が健康を害し、苦しんでいたことも見受けられます。多くの人骨では重度の歯科疾患、マラリア、外傷の跡や骨折があり、中には年取った女性で両脚を同時に骨折したものもありました。「その後の歩行による痛みは、彼女の足にある関節炎が示している」と論文にあります。またいくつもの人骨で見られる骨折の種類は、「強い力による事案、現代でいえばコンタクトスポーツでよく見られるようなもの」だとしていますが、こちらも実際何があったのかは「推測することしかできない」とあります。
イギリスっていろんな町や村や、なんなら何もない野原でも「ここはローマ時代から続く歴史的な町で…」「ここでは遺跡が見つかって…」みたいなうんちくが付いてくるし、子どもの学校でも「ローマ時代の日」と称してそれっぽい仮装(シーツをトーガ化するとか)したりして、現代人としては情緒を感じるばかりなんですが、その当時の人たちはなかなかバイオレントでタフな生活だったんでしょうね…。