ロシアがトーンをやや変えた。
12月23日、プーチン大統領は年末恒例の記者会見で、「今のところ、我々は肯定的な反応を見ている。アメリカのパートナーは我々に、年明けにジュネーブでこの議論、この交渉を始める用意があると言っている」と述べた。
これまでの一週間は緊張が漂うものだったが、交渉に少しだけ希望が見えてきた。
ロシアのラブロフ外相は、ロシア大統領顧問のユーリ・ウシャコフ氏と、米国国家安全保障顧問のジェイク・サリバン氏が中心となって、「1月中に」開始されるはずだと詳細を説明した。
この1カ月の歩みを見てみたい。
12月8日、バイデン大統領は、ロシアがウクライナに侵攻した場合に米軍をウクライナに派遣することは「検討していない」と述べた。
その後12月17日、ロシアは、アメリカと北大西洋条約機構(NATO)に無理難題を提示した。
それは、1997年の状態に戻すこと。つまり、NATOが東欧に拡大する前の状態に戻すということだ(東ドイツは1990年の統一ドイツ加盟なので問題に入らない)。
具体的には以下のようなものだ。
◎バルト3国は今NATO加盟国だが、NATO軍を置かない。
◎ウクライナ、ジョージア、その他の候補国に、NATOのさらなる拡大をしない。
両国にNATO加盟の道を開いた2008年の決定を「正式に」破棄する。
◎相手方の射程内に短・中距離ミサイルを配備しない。
◎NATOはウクライナだけでなく、もっと一般的に東欧、中央アジア、南コーカサスでいかなる軍事活動も行うべきではない。
上記の要求は、四半世紀の歴史の歩みをなかったものにしたいという、無茶苦茶な内容である。
これらの経緯は、日本に不安を呼び起こした。何と言っても、バイデン大統領が、ウクライナに軍を出さないと明言したことがである。
「交渉の段階で、そんなことをはっきり言って良いのか」、「手の内を見せてしまっては、交渉にならないではないか。昔のアメリカなら、力を誇示しつつ、際どい緊張感のある交渉をして、有利な条件や状況を勝ち取ったのに」というのだ。
バイデン大統領の能力や姿勢を不安視し、もし台湾有事で同じことになったらと、心配しているのである。
日本の周りはまだ冷戦態勢なので、この不安は理解できる。筆者も「そこまではっきり言わなくても」とは思った。
でも、米欧関係を見続けていると、それほど意外でもなかったし、別の意味があるように思う。このことを、以下に説明していきたい。
まず、プーチン大統領は、アメリカしか相手にしていないが、バイデン大統領は違う。
フランスのマクロン大統領は、プーチン大統領と実際に会う会談を望んでいるが、無視である。「ガン無視」と言っていいかもしれない。ドイツのショルツ首相に対しても同様である。
22日になって、やっと独仏首脳との電話会談だけは実現した。
プーチンの頭の中は、完全に冷戦思考になっている。でもそれは真理でもある。「軍事で日本と話す必要などない。アメリカと話せばいいんだ」というのに似ている。かえってプーチン大統領の本気度を感じさせた。
プーチンとバイデンの両大統領の会談は、今後は予定にないというが、両国の主要政治家たちの交渉は続いている。
一方で、バイデン政権は、NATOの加盟国で、かつ欧州のパートナーたち(大半がEU加盟国)との協力関係を維持している。
フランスの「ル・モンド」紙によると、バイデン大統領のアメリカは、中国とインド太平洋を重視しており、そのような古典的な冷戦パターンを復活させることに関心がないのだという。
だからこそ、アメリカ側は、多様性を強調している。
今行っているような古典的な米露会談もあるが、他にも様々な方法がある。NATOとロシアが理事会で話す、欧州安全保障協力機構(OSCE)の加盟国57カ国間で協議する(クリミア併合時のように)、さらにウクライナ問題に関する2015年の合意「ミンスク2」と同じように、OSCEの監督のもと、ロシアとウクライナ+フランスとドイツで話し合う方式があるという。
細かい話になるが、この発言の背景には、EUは「ミンスク2」方式を、アメリカは「NATO+ロシア」方式を、ロシアは米露対話を望んでいるという状態がある。
どのみち、このような欧州とアメリカの協力関係は、伝統的なものである(トランプ前大統領と違って)。でも欧州は、アメリカがもはや以前のように、欧州に高い軍事的関心をもっていないことを知っている。冷戦は終わったのだ。
むしろ「こちらは攻撃する意図なんてありませんから」と相手をなだめるほど、ロシアは追い詰められていると捉えるべきだろう。いわば「窮鼠猫を噛む」状態とも言える。窮鼠に最も良い方法は、まずは攻撃の意図を見せないことである。
それに、国境付近のロシアの軍隊結集の問題は、突然この1カ月で起こったわけではない。集まったり引っ込んだりしながら、1年弱続いている。
ロシアが問題視してきたのは、むしろ、アメリカによるウクライナへの軍事資金の援助だと言われてきた。
大変わかりやすい話で、NATOが守らなくても、ウクライナが軍事的に強くなれば良いわけだ。アメリカの軍事産業も、発注があって潤うというものだ。
アメリカは今年、約4億5000万ドルを、ウクライナの安全保障協力に費している。約515億円。これは、だいたいエチオピアの年間国防費に相当する(世界で88位の国防費額。やや古い2010年の数字)。
ロシアがクリミア半島を占領した2014年以降、米国はウクライナに25億ドル以上の援助を提供してきた。
米国防総省は3月、ウクライナの領海防衛を支援する武装巡視船2隻を含む、1億2500万ドルの軍事支援パッケージを発表した。
10月末には、対戦車防衛システム「Javelin」30基が納入された。
「Wall Street Journal」によると、以前アフガニスタンで使用されていたMi-17ヘリコプターの話もあるという。ウクライナは、海だけではなく、防空システムも希望しているという。
「ウクライナ人が攻撃されたときに、自らを守るための訓練と装備を整えることを、我々は支援しているのです」と語るのは、2017年に米国のウクライナ特別代表に任命されたカート・フォルカー氏だ。現在は、欧州政策分析センタ(CEPA)の研究員である。
「バイデン大統領は、クリミアの併合、グルジアの一部の占領、選挙妨害、ナヴァルニー氏の毒殺(未遂)、ヨーロッパでの暗殺や毒殺など、多くの問題でロシアを追及しないことを選択したのです」
「モスクワとの二国間関係において、より安定した、予測しやすい関係を作りたかったのでしょう」
「ウクライナ側には、法の支配や司法、汚職問題、NATOとの相互運用性など、もっと実行すべき改革があるはずです」
確かに、民主主義サミットを主催するバイデン大統領は、9月にウクライナのゼレンスキー大統領がワシントンを訪問したとき、NATOの加盟問題にあまり踏み込まず、ウクライナの汚職や統治(ガバナンス)の問題に苛立ちをもっていると報道されていた。
さらにフォルカー氏は「ウクライナがNATO加盟の準備ができておらず、アメリカが加盟を積極的に推進していないからと言って、この見通しを永久にテーブルから外すべきということにはなりません」とも語る。
ウクライナやジョージアなど「これらの国は、安全保障の方向性を選択する権利を持つ独立国です。たとえNATO加盟国になる準備が出来ていないと判断されても、彼らの権利は維持されるべきです」ということである。
次に、今一番米欧が気をつけているのは、ロシアに攻撃の口実を与えることだ。
だから言動には注意を払う。
バイデン大統領の発言は、もし本当にプーチン大統領が侵攻を決断した場合、「私たちが悪いのではない」「ロシアのせいでこうなったのだから、こう対処せざるを得なかった」と明言できるような、責任逃れの証拠残しであるように見えると分析される。
その点は、ロシア側も同じである。
バイデン大統領が弱腰を見せたから、プーチン大統領がありえない要求を叩きつけたとは見られていない。
プーチンの側も、「このように正式に要求したのに、相手はちっとも聞こうとしなかった」「だから、こう対処せざるを得なかった」という、責任逃れの証拠作りに見えると言われる。
また、クレムリンに近いとされるアナリスト、フョードル・ルキアノフの雑誌『Russia in Global Affairs』は、「最後通牒を思わせる」と述べているという。
つまり最初から、状況は変わっていないように見える。プーチン大統領の最終目標は不明なままである。国が経済制裁で壊滅的な打撃を受けてでも、ウクライナに侵攻するか否かという問いがあるままだ。
ロシアはもはや地域大国でしかなく、往年の面影はない。ロシア経済は、長年の制裁で、瀕死状態と言われている。
参考記事:バイデン「ロシアへ前代未聞の経済制裁」は、核爆弾というスウィフトか。何が問題か:欧州議会とウクライナ
クリミア半島と黒海という戦略上重要な領土のためなら、ウクライナ領の南と東を目的とする可能性が高い。さらに、もし「ロシア発祥の地」とされる首都キエフを取り戻すためなら、さらに戦火は大きい恐れがある。
一方で、このままこう着状態が続く可能性や、取りあえずは外交的妥協が生まれる可能性もある。「取りあえず」というのは、米欧がロシアの要求をそのまま飲むとは、全く考えられないからだ。
1月の交渉はどのように運ぶのだろうか。ロシアは自国の安全保障に今、10年後ではなく今、確約を与えることを繰り返し要求している。そして、今まで無視し続けた欧州とのコンタクトを、除外はしなかったという。直接なのか、欧州安全保障協力機構(OSCE)の枠組みなのかは、まだ不明である。
プーチン大統領の心の内は誰にもわからないが、なぜ今この事態かというのなら、ゼレンスキー大統領のアメリカとNATOへの接近、当人の年齢(69歳)だけではなく、唯一話ができる相手と言われてきたメルケル首相(67歳)の引退も関係あるかもしれない。
東ドイツ出身で、ロシア語を話したメルケル前首相。二人で会話するときは、彼女がロシア語、プーチンがドイツ語を話していたという。
そんな世代の二人と異なり、現在、EU加盟国の首脳の平均年齢は、50代と若い。特に、東欧よりも西欧が若い。
参考記事:次期アメリカ大統領は高齢者決定。いま先進国、欧州と東アジアのリーダーの平均は何歳か。驚きの結果に。
若いのは、民主主義が上手くまわっているだけではなく、EUのことが理解できる世代でないと、政治ができないからだろう。彼らにはもはや、プーチン大統領とは共通の基盤がほとんどない。
欧州では冷戦は終わったのだ。別の新しい時代が到来し始めている。でも、まだ残されている課題がある。それが、ソ連を構成していた国々で、東欧よりもっと東の国々である。
プーチン以降はロシアの民主化は必然と思われ、アメリカも主要な軍事的関心をもはや欧州には示さないなかで、ウクライナが途上に残されているのだ。次はモルドバ(と沿ドニエストル共和国)かもしれないが・・・。
やっと1月から交渉のテーブルは設けられることになったが、ロシアに「無視された」状況に置かれ続けた欧州は、いま何をして何を考えているのだろうか。
ロシアは、NATOの対話の呼びかけもほぼ無視して、アメリカとだけ話していたが、特にEUと欧州の首脳に与えた心理的影響は大きいだろう。EUの今後の方向性に、このことがきっかけとなり、歴史的な影響を与えるのではないかとさえ感じる。
この問題は、また稿を改めて書きたいと思っている。