サムスンは現地時間10月25日、李健熙(Kun-Hee Lee)会長が死去したことを明らかにした。78歳だった。死因は明らかにされていないが、李氏は2014年に心筋梗塞で倒れて以来、療養生活を続けていた。同氏は、同社の注力分野を安価な日用品デバイスからハイエンド製品の製造へと転換し、サムスンを今日の巨大エレクトロニクス企業に成長させた。
李健熙会長提供:Getty Imagesサムスンは声明で、「李会長は、サムスンをローカルビジネスから世界をリードするイノベーター、そして業界大手へと変革した、まさしく先見の明ある人物だった」とした。「サムスンの社員一同は今後も彼を追慕し、彼とともに歩んだ道のりに感謝する」(サムスン)
米CNETはサムスンにさらなるコメントを求めたが、回答は得られていない。
サムスン電子の親会社サムスングループは、李氏の父、李秉喆(Byung-chul Lee)氏が創業した。1938年に三星商会として創業した当時、同社は韓国の魚の干物、野菜、果物などを中国に販売していた。サムスンが電子製品の販売を開始したのは、約30年後のことだ。そして李健熙氏は1987年、秉喆氏の死去を受け、会長に就任した。ハイエンド製品の製造に軸足を移し、安価な商品を販売する企業としての評判を拭い去ったのは、1990年代半ばになってからだ。1993年には、フランクフルトで役員を集めて開いた会議で、「妻子以外はすべて変える」必要があると述べた。
サムスンは24日、声明の中で、「李会長が1993年に宣言した『新経営』は、最高の技術を提供し、グローバル社会を前進させる上で役立てるというサムスンのビジョンの推進力となった」と述べた。
李健熙氏は1995年、自身が贈り物として渡した携帯電話がうまく動作しなかったことが分かり、激怒したという。同氏は、サムスンのメインの組立工場があった韓国亀尾市に赴き、携帯電話15万台を敷地に捨てた。山積みになった携帯電話の周りに従業員らを集め、その山に火をつけて、ブルドーザーで破壊するよう指示したという。サムスン電子はその後、高品質の製品の設計に重点的に取り組むようになった。同社の多数の製品が顧客を魅了するようになるきっかけの1つとなっている。
サムスンは現在、世界最大規模のシェアを誇るスマートフォンメーカーの1社だ。2020年に入って華為技術(ファーウェイ)に抜かれるまで、同社はスマートフォンシェア第1位の座を約10年断続的に維持してきた。また、テレビ、部品製造、メモリーチップ、家電製品の分野でも大手となっている。
李氏は1942年1月9日に生まれ、1965年には早稲田大学を卒業している。さらにジョージワシントン大学の修士課程に進学したが、The New York Timesによると学位は取得していない。
李氏は、1987~1998年にサムスングループの会長、1998~2008年までサムスン電子の会長兼最高経営責任者(CEO)を務めた。2010年にサムスン電子の会長に再び就任し、亡くなるまで務めた。同氏は、サムスンをハイテク分野で最も強力な企業の1社へと導いた。また、自身は韓国で最も裕福な人物の1人となった。一方で長年にわたり、法的な問題も抱えていた。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。