キム・ゴンヒ氏が2003年8月、本名(キム・ミョンシン)で出品した「身体的風景」展の図録内容の中の一部分。キム氏は「受賞及び展示経歴」の一番上に「2003年『Portrate』展、サムスン美術館企画」と明記した
国民の力のユン・ソクヨル大統領選候補の妻のキム・ゴンヒ氏が、2001年に翰林聖心大学の講師任用のために提出した履歴書に、美術公募展で受賞した履歴を虚偽で作成した事実が16日判明した。韓国ゲーム産業協会勤務をめぐる虚偽の履歴記載疑惑に続き、美術公募展の受賞歴まで虚偽で作成した事実が明るみにでたことで、キム氏の経歴詐称をめぐる波紋はさらに大きく広がるものとみられる。 共に民主党のアン・ミンソク議員室などが翰林聖心大学から入手したキム氏の履歴書には、1995年5月「美術世界大賞展で入賞(優秀賞)」という受賞歴が書かれている。しかし、本紙が当時の当選者リストが載った1995年8月の月刊「美術世界」第129号を確認した結果、キム氏の現在の名前と改名前の名前(キム・ミョンシン)は、計229人の受賞者名簿になかった。キム氏が優秀賞を受賞したという1995年第6回美術世界大賞展には韓国画や西洋画、彫刻などの分野で計1232点が出品され、大賞1人、最優秀賞1人、優秀賞6人、特選51人、入選170人が選ばれた。 本紙は、キム氏が受賞年度と書いた1995年前後の1994年と1996年の美術世界大賞展の入賞者リストも確認したが、キム氏の名前はどこにもなかった。美術世界大賞展は1984年に創刊した美術専門雑誌「美術世界」が主催する公募展だ。美術公募展での受賞歴を書いた履歴書を提出したキム氏は、翰林聖心(当時翰林情報産業大学)に採用され、2001年2月~2004年2月にコンピューター応用科の講師を勤めた。キム氏は本紙との電話インタビューで「かなり前のことなので全く憶えていない」とし、「当時、大韓民国美術大展で入選し、大きな賞はそれだけでも十分だったのに、他の賞も受賞したと嘘をつく理由がない。私が誤って書いたのか、(なぜそのような記載があるのかが)理解できない」と語った。 キム氏が自分の展示会の図録に過去の展示履歴を虚偽で書いた事実も確認された。本紙は、キム氏が2003年8月に改名前の名前で出品した「身体的風景」展の関連資料を最近入手した。同展示は同年8月19~31日、仁川芸総文化会館で開かれた「2003、仁川メディアアート・ビエンナーレ」のイベントで、作家38人が参加した。当時、出品作家たちは展示会の図録に自分の主要作品の図版と学歴、受賞及び展示の履歴を記載したが、キム氏は「受賞及び展示の履歴」の一番上に「2003年『Portrate』展、サムスン美術館企画」と明記した。しかし、サムスン美術館「リウム」の関係者は本紙の取材に対し、「(キム氏が図録に書いた2003年の展示を)開催したことがなく、リウム開館(2004年)前にサムスン美術館の名称を対外的に使ったこともない」と答えた。 キム氏はサムスン美術館の企画展示と関連しては「当時、城南(ソンナム)の盆唐(プンダン)にあるサムスンプラザ(現AKプラザ百貨店盆唐店)のビルの内部ギャラリーで展示をした」と釈明した。ペ・ジヒョン、チョン・ファンボン、ノ・ヒョンソク記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)